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「淨潤日記」日日是好日



  日記が移動しました!
Date: 2010-05-07 (Fri)
氣道協会のホームページが新しくなり、http://npo-kido.com/
それに伴い、この日記のアドレスも変わりました。
新しいアドレスは、http://kido-j2.jugem.jp/です。

さて、明日は、【お金の学校】です!

□お金から自由になりたい方!
□お金をもっと得たい方!

今年、最後のチャンスですので、ぜひご活用ください。
委しくは→ http://npo-kido.com/schedule/special.html#sp03

  氣道協会ホームページが本日リニューアルされました!
Date: 2010-04-09 (Fri)
 まだトップページと私の挨拶文だけのプレ・オープンではありますが、
 本日、当会のホームページが新しくなりました。
 ぜひ、ご覧くださいませ。

 なお、トップページの手の写真はもちろん私の手でありますが、
 背景の氣道という文字も拙筆でありまして、横濱道場を開場する際に揮毫し、現在横浜道場の玄関上の看板に使っているものであります。
 (実は、看板裏には長谷川食器店と書いてあり、父が50年余前から横浜道場の場所で営んでいた食器店の看板でもあったのです。
 (ちなみに看板のみならず、現在の横浜道場も、築50余年となります。
 新ホームページでは挨拶文に母の事ばかり書いてしまいましたので、この場を借りて父の事を書かせて戴いた次第です。)

 また、バナーなどに使われているお花の写真も、すべて横濱道場に活けてあったものであります。
 本格的なグランドオープンは今月末ですが、それまでにもご笑覧くださったら幸いです。
 (以下のアドレスです。
  なお、本日は、「アネモネ」の発売日でもあります。
  「お金が入る体づくり」という、ちょっと?と思われる方もいらっしゃる内容ですが、考えてみれば【お金の学校】自体がそう。
  一番、色々な観念が付くお金から自由になると、私たちにとって幸せとは何か、が顕れてくるのです。
  そう思い続けて【お金の学校】を行っています。(なので億万長者になる学校ではありません。(^^;;
  しかし、ほんとうの意味で豊かになる学校だと思います。(また、この数年そのようにしています。)
  豊かさは、いつも、心の中にしかないのです。

http://npo-kido.com/


  氣道。  ★2009年11月30日からの休憩後、最初に書き溜めていた最も重要な文章。(そしてこの(身体)感覚は今もって更に更に育っている)
Date: 2009-12月


 私たちは、
 日々、
 あの(懐かしくも)輝かしい未来に戻っている。



  「男本」対談。(奥谷まゆみ先生との対談)
Date: 2010-3月8日?
まゆみさんとの「男本」出版記念対談は面白かった。
特に、匂いある汗の話では、それがより良き子供を産みたいというDNAレベルで選んでいるというのは、未来が原因という、とても氣道的な視点だった。
誰かに恋するというのも、実は子供のほうから、あるいは先の地球から選ばされているのである。
(なお、1、昨年、一旦この日記を休止してより、書き溜めていたものを、内容的に近しいものを近接に掲げさせて頂いている。
    2、「男本」については、以下のアドレスをご参照の程。

http://www.amazon.co.jp/%E7%94%B7%E6%9C%AC-%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%93%E3%81%BC%E3%82%93-%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%B7%A8%E6%BD%A4%C3%97%E5%A5%A5%E8%B0%B7%E3%81%BE%E3%82%86%E3%81%BF/dp/4990419235/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1270291787&sr=8-1


  氣に沿って生きている限り
Date: 2010- 2月?
 全てが決まっている。

 だから、慌てることも、焦ることも、まったく必要ない。

 全て、うまくいくようになっている。

  氣道
Date: 2010-04-01 (Thu)

氣に沿って生きると、
一挙手一投足が神への祈りとなる。

(これは氣=万象の根源=神であるからという理屈ではなく
 全き実感である。
 尚、祈りは願い事ではない。
 純化された祈りは全てが空となってただ捧げ、そして捧げるという気持ちも無い一体感の状態を言う。)

  今後の予定。 (3月〜4月上旬)
Date: 2010-03-16 (Tue)
●【整体について】
  下記、「弥生の整体」や「スタッフ近況報告」にも書いたように、今月と来月は体を(そして体を通して心を!) 大きく変えるチャンス!
  今月は、水、木の東京(菊名)と、土日の横浜のみで、月末は関西(芦屋)となり、既にほとんど予約で一杯だが、ぜひご活用の程。

●27日(土)
  新バージョンの【お金の学校】。
  お金に対して何かの思いがある方はぜひご活用ください。
  (なおこの日でご都合が合わない方は5/8もあります。)
  
※【お金の学校】が4/9発売の「アネモネ」で紹介されます!
  ぜひ、ご一読くださいませ!

●3/28は、関内「エアジン」にて、沖縄出身の狩俣さんとのデュオ。(とっても大好きな方です。ほんとうにぜひ一度ご覧になってください。)
 そしてセカンドステージは、大野一雄さんの弟子である柴崎三郎さんの演舞が加わり、三人でのジョイント。
 (芝さんは、一曲目、『能面』を用いて真剣な演舞をする事になっている。)
 今年一番の美味しいライヴになりそうと、前から楽しみにしている。

※関西の方へ
  (そして、その(ライヴ後)足で新幹線に乗り関西へ。)
 
 29日は「眠り講座」(眠りで解決できない問題はない)。
 (打上げもあるのかナ。楽しみです。)

●4月の予定

・4月3日は、横浜朝日カルチャーセンター(ルミネ内)にて、「春の健康法」。
 (道場では今年は行わないのと、初心者向け。)

・翌日4日は、「速読法講座」。
 (たった一回、一生に一度だけで、読書スピードを上げる魔法(なお、早く読もうとする努力は一切いりません!)
  と、読書を通して、視力回復&瞑想を深める最強の速読法をご堪能ください。)
  
※なお、上記のお問い合わせ先は、
  Fax045−261−3304、
  電話045-261-3300
  メールmail@npo-kido.comまで遠慮なくどうぞ。
  (http://npo-kido.com/の特別講座情報もご参照ください。)

http://npo-kido.com/


  3月号以降の【巻頭言】文章の続き。
Date: 2010-03-16 (Tue)
下記、「3月号以降の【巻頭言】文章」は、エアジンライヴのあと一時間程で集中して書いた文章である。
分割して巻頭言に記載しているため、その都度、若干の校正を加えていたが、そのため、この日記の一回分の容量を越えてしまい、
終盤の文章が収まらなくなってしまった。
そのため、下記で記載出来なかった分を、ここに掲載する次第である。

 …………………………………………………………………………………………

体は心の現れである。
 どんなに上手く嘘をついても、嘘発見器以上に鳩尾には現れる。
 この数年観察して面白いと思うのは、
 自分の意識では嘘だと思っていなくとも、無意識(潛在意識)で嘘だと思っているのも鳩尾には現れるということ。
 また、事実では嘘でなくとも無意識が嘘だと思っていると斯く現れるのも面白い。
 
 ともかく体は無意識の現れである。
 意識できないからこそ無意識と言うが、その無意識は体状況や体の感覚で掴むことができる。

 体を整えるとは、無意識も含め、心すべてを整えることに他ならない。

             (2010年5月号掲載予定文章)

 …………………………………………………………………………………………

  体には、その人の「過去」「現在」「未来」がすべて現れている。
 それは精神世界でいうアカシックレコードを越える。

 昭和の頃、信じられない程の名医がいたという。
 その頃、日本では沖中教授が最高の名医とされていたのに、
 数多くの医師達が、その名医に体を預けていたという。
 その名医は、まず相手をうつ伏せにして背骨を観察す。
 その間、五秒に満たず。
 それで過去の病歴のみならず、産まれてから今までに起きた全ての出来事を読み取ったという。
 その上で一分に満たぬ瞬時の操法を行い、
 相手の自然性を喚起して、劇的な体質改善および潛在意識教育を実現していった。
 その名医の名は野口晴哉。

 体は、その人の過去因縁来歴を語る克明な履歴書であり、同時に未来をも語る予言書でもある。
 其処にはもしあるのなら前世も来世も孕んでいよう。
 而して
 「今!」 何が大切なのか。
 彼は、其処しか見ていない。

 世の中の世知辛さに囚われず、
 伸び伸びと、「今」の自身の生命を羽ばたかせていこう。

               (6月号掲載予定文章)
 ……………………………………………………………………………………

 体は、その人の因縁来歴を語る克明な履歴書であるだけでなく、
 その人の「過去」「現在」「未来」がすべて現れているアカシックレコード以上のものであると言った。 
 そして先述した名医がそうであったように、其れは特に背骨に現れる。
 そして同時に、背骨を中心とし体を調整することによって、過去、未来も変えることが出来る。
 その上で、其の名医は「今」を見る。

(過去)
 起きてしまった過去を変えることは出来ない。
 本当にそうなのだろうか?

 量子力学のパラレルワールド(平行宇宙)の概念によるループまでいかずとも、
 少なくとも過去の捉え方は変えることができる。
 然して、それにより、過去は文字通り激変する。 
 それは心理的技術でも可能であるが、身体に於て、或る場処を変えれば或る過去が変わる。

 過去は「今」の中にしかない。
 今の体を変えることによって過去は如何ようにも変わる。
 これは、或る意味、大変恐ろしい事であり同時に余りに嬉しき輝かしい事でもあろう。
 ともあれ、其れは長年整体する事に携わる私にとって大きな発見であった。
 
 過去は変えられる。
 これこそ22世紀に向かう身心医学の進歩であり、体を整えるという意義の一つであろう。
 
 ならば未来はどうなのだろうか。

  …………………………………………………(ここまで7月号用。以下は、8月号以降掲載予定の文章です。)


(未来)
 地震の前には胸椎八番が捻じれる。
 直下型だったら四番も捻じれる。
 雷なら九番、台風なら十番。
 山火事の前に逃げる動物達同様、人間の体には克明に未来が書かれている。
 
 「新しい仕事を探しているのですが…」
 そう言う彼の体は胸椎三番から五番の右四側が硬く、話している時に過敏になった。
 「これで数週間以内に見つかるはずです。」
 と私が断言できたのは、その場処の硬結を緩解するに相応しい好機であったため調律出来たからである。

 「今」のみ存在する。
 体(即ち潛在意識、心)も然り。
 然してその今の体、心に過去が生まれ、未来が残っている。
 また「昨日」までの体を整えると「明日」の体も変わる。
 そして「今日」の体も変わる。
 是れ体を整えることを通して、「今」を整えるという事也。
 「今」を別次元に移すこと也。

             (2010年6月号掲載予定文章)

 (なお以下も続きが既に書いてあるが、現在私の手元にないため、今回は割愛させて戴く。)

 

  整体の観察(その後)
Date: 2010-03-16 (Tue)
下記「整体の観察」を読んだ方々から「育児大全科」(主婦の友生活シリーズ)その他、様々な資料(雑誌、本)を戴いた。
野口整体や私たちの整体の観察は、あくまで相手の身体が、元々の元気を顕そうと十全に働いているかだけを見ていくので、そうした情報には囚われたくないのだが、
最新の情報を読んで驚いた。
…というのは、以前の現代医学の常識とはあまりに異なっていたからである。
症状への対処法だけでなく、立つ、話すなどの相応しい時期も異なる。
以前は早く立ったり話したほうがいい、という風潮だったが、暫定的にせよ数ヶ月は昔よりも遅れた記載になっている。
それによると息子は、丁度良い発育かむしろ早いということになる。
今、野口晴哉師がご存命なら、知る人ぞ知る仙椎ショックの件同様、そんなものだとニヤリと笑うのだろう。
ともあれ、私たちの観察は知識や情報によって行われるのではない。
むしろ、それらに囚われずに、純粋に相手の身心を的確に把握できるよう、
余分な情報を排除し、指や身体を整え、息深く心閑かにする事に努めるのである。
整体は相手の元気を引き出し、その身心を健康に戻すこと、
即ち瞑想を深めることに他ならないが、
整体を行う者にとっても瞑想を深めてゆくことが不可欠になっていく。

  3月号会報(P.11) 「スタッフ近況報告」 を転載します。
Date: 2010-03-11 (Thu)
「3月14〜22日と4月14〜22日は、一年で一番整体を受けるに相応しい時期。
 
 さて私は、今年度を「氷の年」と呼びたく思っている。
 昨年度、一昨年度のような発揚が促された順接的な数年間と異なり、
 まるで氷の如くに裡に潜み、また或る時には氷が割れるように内なる変動が突如として亀裂の如くに現れるとしとなるだろう。
 そのため表面的には激動の感もあろう。
 おそらくは来年度から十数年ぶりには始まる穏やかな文字通り平成な年度の前の発現なのだろうと思っている。
 この氷の年を、息深く心閑かに、そして炎の如く進みたい。

 今年の3月、4月の整体は上記の二週間以外でも受けられる方にとっては一つのエポックとなる事だろう。
 時々の身心に惑わされず、数年単位の大きな波を見つめて、死ぬまで体(心)を育んで参りましょう。 (長谷川淨潤)  」

  スタッフ宛のメールより
Date: 2010-03-11 (Thu)

>   先々週は、土日は変化するが(実際、津波の噂あり)
>   月曜日から天候が落ち着くと書き、
>  その後、たしかに落ち着きましたが、
>  まだ三寒四温ともいえない日々であります。
>
>   三月の最も大事な健康法と言えば、楽しい空想と共に
>   「お腹に風を当てる」
>   ですが、
>   今週はタイムリーです。
>    (今日も必要である多くの方に指示しました。)
>
>   ご存じのように冬からの頭の緊張が、腸を緊張させることで弛むのですね。
>
>   自分の思考は自分ではコントロールしたように思っていても、
>   その背後にある潛在意識、つまり体にコントロールされてしまっていることがほとんどです。
>
>   その意味でも、ぜひ試してください。

───と昨日スタッフ宛のメールに書いた。

そして今日の晴天。
実に今日こそ相応しい日であった。
明日以降も、今日のような晴天がある事だろう。
皆さまもぜひ試みてほしい。

(なお時間はお腹だけ冷えればいいので、数十秒でOKです。
 その後、お通じが弛くなる人もいますが、それで冬からの頭の草臥れが抜けてきます。)

  整体の観察
Date: 2010-03-11 (Thu)
整体および整体の観察については、以前この日記でも随分と触れたが、今日は別の角度から。
というのは、かなりショックな事があった為。
それは先日、或る方から言われた一言。
「先生、お子さんを定期検診には?
 一度連れて行ったほうがいいですよ。」
私の息子は、整体的、氣道的な育児をしているため、食事だけでなくあらゆる面での栄養を満たしていくので、歯の生えるのや言葉を覚えるのや立つのもゆっくり。(「その意味」では知恵も遅れている)
それで多くの会員さんから不思議な顔をされる事も多いのだが、
その一言を聞いた時も、心配してくれている嬉しさが先にたち、「まあ検査をしてもその後行うことは一緒だから」と後から考えればお茶を濁してしまった。
ところが、その後、その一言がかなり響いてきた。
ご存知の方も多いだろうが、
私は妊娠中から産後を含めての講座も行っているし、また今までのべ何千人の赤子を指導してきた。
何事も影響の大きい赤ちゃんと緊急を要する状態の方には、特に真剣に向かってきたつもりだし、
またそうした方というのは、背骨の何番ということでなく、直接的にリアルに伝わってくるものが大きい。
たとえば現在、脳の状態がどうなっているかを調べるのは、通常の大人を調べるのとは段違いに明確にリアルに分かる。
そして、その対処法も的確にできる。
それは、赤ちゃんや緊急時の方というのは、それだけ氣の感応が深く行えるからでもある。
だからと言って検査や手術が不必要という事を言いたいわけではないし、実際必要な人も多くいらっしゃる。
その意味でも、私は現代医学を否定する者ではないし、むしろ上手く活用して戴きたいし、同時に私が行っている事が医師の行っている事とできるだけ抵触しないような立場にいたく思っている。
そのため、赤ちゃんであっても、病院の検査を薦める事も今後あるだろう。
しかし息子の場合は、そうした状態ではなかったし、また定期的に観ている赤ちゃんは皆そうだが、数時間後にはこうなる、数日後はこうなる、一週間後はこうなる、といった今までの見立てが外れたケースはない。
よく整体の原点は赤子への整体である、と講座でも言うが、その意味でも、この一言は、私の行っている整体というもの、大袈裟に言うなら私の生き方や私という人間自体の根幹を否定された感があったのである。
(またそういう心配を言葉化することによって実現してしまうのにという気持ちもあった。)
しかし数日経って落ち着いてくるに、仰った方のあくまで親切で言った気持ちも戻ってくると共に、その方は単に私たちの整体でどこまで分かるかを知らないだけなのだろう、と理解できるようになった。
そして検査にせよ何かが分かった時に最も有効な手段は何なのかを知らないだけなのであろう。
つまり、私の観察レベルや技術に対しての見解や信頼度の問題なだけであり、何も整体や私を否定している訳ではないわけである。
そう思えた時、これは相手の問題では全くなく、そこまで信頼させる事の出来なかった私自身の問題、落ち度である事が分かってきた。
(また別の見解で言えば、とりわけ赤子の観察に自信があったために、その点について言われたために、つい自惚れから過敏な反応をしたのであろうとも思った。)
 ともあれ人は(と言うか、私は)つくづく弱い者であると感じた数日間であった。
 実はその前日にも様々な事があった事もあり、まだ癒えぬ状態ではあるが、今日の陽光が随分とそうした私の過去への囚われを燃やしてくれたようだ。
 毎日生れ変わったような気分で、日々新鮮に朝を向かえよう、と恥ずかしながら、日々私自身が様々な氣道methodを活用しながら励んでいる次第である。

  「弥生の整体」(会報スケジュール表に掲載した文章を転載)
Date: 2010-03-04 (Thu)
< 弥生の整体 >

 3月は最も体が過敏になる月。
 様々な症状が顔を出しますが、冬までの頭や眼の疲労による首の緊張をとると和らいでまいります。
 それには眼の温湿布や首自体の温法も有効ですが、3月の健康法として定番なのが、お腹を風に当てること。
 腸が緊張し排便、下痢を促します。そして下痢をすると首が弛むのです。
 そのため3月は上下下痢といってお腹の痛まない下痢をする方が多くなりますが、既に下痢をしている方は風に当てなくても宜しい。
 また晴れて風の冷たい日が望ましく、温い風の日は効果がありません。
 それでも身心の過敏な症状が変わらない方は尾骨の焼塩温法を行うと良いでしょう。
 なお、上記の箇所だけでなく肩甲骨を調整するのに相応しい時期のため、彼岸以降を快適に過ごすため整体(個人指導)のご活用もお薦め申し上げます。

  (続き)
Date: 2010-03-03 (Wed)
そして今日は、アネモネ(雑誌)の取材もあった。
アネモネとしては、初めて「お金」の特集を組んだとの事で、白羽の矢が当たった次第。
現在の不況の事で、様々な想いを皆さんが持っているが、実際にどうしたらいいのか?
氣道的にお話させて戴いた。

即ち、花粉症や風邪同様に、すべての症状を内因である
自分の責任とする、
そして、症状即療法という観点で観ていく。

…という事である。
前者の「内因」については、数年前に氣道と同じと真っ先に紹介したヒューレン博士のホ・オポノポノに通ずる。
ただ、「身体との連動性」が無いのが残念で、
そうでないと、ヒューレン博士のような方々、あるいはある程度瞑想が深い人でないと、現実面の成果が出ないのである。

後者の「症状即療法」については、花粉症や風邪などの症状同様に、金欠病という症状の意味と対処策を、身体部位との連動も含めて紹介した。

取材にいらした皆さんもとても喜んでくれた。
(実際に、「金運が良くなる設定愉氣」も伝授したせいもあるかナ。
 直後、掌から金粉が出た方もいらしたが、敏感な方はそうなる。しかしこういう金粉現象は日々当たり前の事であり、別に超常現象ということでは無い事は強調しておきたい。)

なお、今回取材のアネモネ発売日は4/9である。
楽しみに?
(私自身は、たくさん写真を撮られたので、恥ずかしい…)

※なお、【お金の学校】自体は、3/27と5/8にある。
(参考/http://npo-kido.com/tokubetu.html#okane)
 興味があればどうぞ。




  空 から 天に 戻り
Date: 2010-03-03 (Tue)
皆さま、お久しぶりです。

今日は雛祭り。
女の子の日ですね。

ちょうど2年前、奥谷まゆみ先生が、横浜道場で「女の学校」という講座をして下さったのを懐かしく思いだします。

※その、まゆみ先生との対談が本になりました。
 「男本」
 (内容的には、18歳未満厳禁ですし、私のイメージもガラガラッでしょうから、お薦めしにくいのですが、
  しかし新しい拙著ですので、ご興味のある方は、事務局までどうぞ。
  mail@npo-kido.com
  (電話045-261-3300、Fax045−261−3304)

 ※書店では販売していないのです。
 ※また、3/7には、まゆみ先生との出版記念対談があります。
  (予約先は上記ですが、会報にも出てしまい、申し訳ありませんが、あと数名のみしか承れないので、ご予約が難しいかもしれませんが、まずはご連絡くだいさませ。)


 …………………………………………………………………………………………

 久し振りの日記であります。

 「その事情が変わる事が出来、即ち新たな風が興った時、また再会したく思っています。
  その日を愉しみにしつつ。」

 ───と書きました。

 横濱道場、そして東京道場にも、これでもかという新しい風が吹いた現在、
 さすがに書かせて戴いた次第であります。

 なお、次回は、今月の整体について書かせて戴く予定です。

 …………………………………………………………………………………………

追記/
 一昨日のライヴ情報です。
 まずは、ここで画像が楽しめます。
 http://umemotomusica.jugem.jp/?eid=60
 次に、こんなのもあると、梅本さん(マスター)から送って戴きました。
 http://www.youtube.com/watch?v=OqcX_EiQbjs
「ピアノの長谷川浄潤はとても繊細で大胆な音楽を創る名人である。
 この日のライブはつのだ健(ds)とのDUOだ。ドラムとピアノ は対抗することなく、あるときは融合し、あるときは分離し、天空 に舞い、深海に潜み、自由に音楽世界を飛び回る。色彩的でもあり 、水墨画的でもある。暖かく純粋な音世界がここにはある。」
 …というコメントはとても嬉しかった。
 (でも、たくさん弾いた、もっと静かなメローな曲を選んで欲しかったが…)

・現在、来週の「眠り講座」
  〔深い眠りで解決できない身心の問題は皆無である〕
 の最終準備中。
 16年ぶりの講座。
 乞うご期待のほど!

http://npo-kido.com/


 
Date: 2009-11-30 (Mon)
愉氣の醍醐味は、
相手と息一つになり、互いに訪れる新たな身体(感覚)を共有するところにある。
それは自ずと動き消え瞑想へと導かれる。

瞑想の醍醐味は、
神と一つになり、無限の私に戻ることにある。

整体の醍醐味は、
その状態を相手に誘い共有するところにある。
さらに整体後、操者も受者も、無限のいのちと共に生活出来るところにある。
而して操者は次の生命への禮に向う。


(※なおこの日記は諸種の事情の為、暫し休載させて戴きます。
その事情が変わる事が出来、即ち新たな風が興った時、また再会したく思っています。
   その日を愉しみにしつつ。)

http://npo-kido.com/tokubetu.html#kido_k


 
Date: 2009-11-30 (Mon)
真理は探し求めるものでは無い。
真理は現れるものである。

感情、感覚、信ずる全ての価値観、観念を認め、それによって消失させ、
即ち全てを否定し、源に戻らんと
思考を静め切る時、
真理は常に今ここと共に在る。

  【氣道の学校】
Date: 2009-7-?
聖地(メッカ)は、インドやマチュピチュにのみ在るのでは無い。

「今」「ここ」が聖地になり得る。

───私たちが物理的身体を持って生きている限り。

  今月の一冊(会報用原稿)
Date: 2009-5-?
「投影された宇宙」 (マイケル・タルボット著 春秋社)

 今日は東京道場での個人指導であった。
 今年は春入りも早く、数年ぶりに体を上手く整える好機であったため、1月後半位から遠方からの方が多く訪れた。
 たった10分の指導を受ける為に、東北、関西など、往復10時間以上かけて遠方からという方が連日いらっしゃる。
 
 近くとも遠い人もいる。
 私は、血の縁より志の縁を大事にする。否、それのみを大事にしたい。
 それ故に一度止めた会員制度を復活させた。
 そう、遠くとも近い人がいる。

 瞑想の真意と「体を整える」意義とが結びつく事を見つけてから早10数年が経った。
 操体法と野口整体が統合できる、と言った時には、様々な反駁があったが、
 瞑想と体を整える事を統合しようとした時は、反駁こそ受けなかったが、様々な階梯があった。そして、それは今も続いている。
 私の歩く前に道は無く、後ろにのみ道が出来る、という高村光太郎の気持ちが初めて分かったのもその頃である。
 ともかく、本当に本当に真剣に瞑想を深めようとしている方こそいらっしゃる事が何より嬉しい。
 一昨日、ある整体指導者の文章を読んだ。私の感ずるところと同じだな、と思った。
 人はどこかで体つまり潛在意識が整う事を求めているのである。
 
 今日、初めて指導を受けられた方は北海道からいらした方であった。
 朝8時に家を出られ道場に着いたのが午後3時頃、今日は流石に一泊し北海道にすぐ戻ると言う。
 数十年岡田式静坐法を実践されていらっしゃる60代の端整な紳士であった。
 「絶対無を求めて来ました。」
 そうした方こそ嬉しい。
 個人指導という、一期一会の舞も、自ずと「生命への禮」と成らざる可からざんや。
 
 ……………………………………………………………

 指導中「先生の紹介されている本は全て読みました。」と仰る。
 伺うと、青本(「実践自然健康道」私の20代の処女作)に紹介している本や、会報の頁に紹介している本も全て読み、様々な学びを得たとの事であった。。
 有難し。
 しかし、そうなると、本当は今まで読んで感動した本、たとえば「あるヨギの自叙伝」は「伝導瞑想」を紹介する折りに書いたかもしれないが、仏陀やブラックジャックを始め、それ以外の重要な本はまだ紹介していない。
 そして、今後は本を紹介する事を留めようと思っていた位だった。
 その気持ちは今だ変っていない。
 メールを始め、私はこの如くの拙文ではあるが、常に今宵死ぬと思って書いている。
 言霊ということがあるからだ。
 (その意味でも、日記で「哀しみ」という連作が、評価された事は大変うれしい。)

 しかし、その方の一言で、次回、紹介するならこの本だろう、という本を紹介する事にした次第である。

 ………………………………………………………………

 この本を読む直前、光栄にも対談までさせて戴いた恩師の成瀬雅春師の「死なない体。死なない心。」を読んだ。
 (これまた推薦したい本である。この項でも紹介した苫米地氏との対談も収録されている。)
 その中に、私も体験した事を、成瀬恩師はM理論(ひも理論)など科学でも少しずつ証明され始めた、と仰っていた。
 本当にそう思う。
 そして最初で最後になるであろう関西での【氣道の学校】(【心の学校】)の準備の為もあり、開催前にホ・オポノポノを受講し、成瀬恩師の著書も読み、この書を読んだのである。

(なお、その感想を書いて欲しい、という声が今日もあった。日記では弟者と息子が許せばと書いたのだが、個人的な感想な為、公開は控えたく思っている。もし今後公開の場合は余程募られたと思って欲しく寛容戴きたい。)
 (※注/その後、公開したのであるが、やはり問題あると思い削除した)

 ………………………………………………………………
 私は、小学時代より「氣道」に邁進していたが(おそらく今以上に…)、高校時代に哲学や宗教に触れ「宗教というのは再発見」という言葉が浮かんだ。

 この言葉は今回の関西での【氣道の学校】(【心の学校】)でも「この感覚は、以前どこかで感覚した事があるように感ずる。」という方が多かったため、お伝えした事である。
 その頃の私は、まるでどこかで感覚したかの如く、あるいは知識であればどこかで学んでいたかの如く感ずる事ばかりであった為、まるで追体験、再発見と思い子供ながらにそういう言葉が浮かんだのであろう。
 その体感(知的体感を含め)を久し振りに味わえたのが、この本であった。
 10年以上前の本である故、現在では更にボーム達の学説は進化しているのであろうが、私にとってそういうことはあまり関係無い。
 上述の「あるヨギの自叙伝」の中でも、その頃の最先端と言える科学が紹介されている。
 小津安次郎の「宗方姉妹」(これもお薦めDVDである)でも田中絹代扮する姉が「私は、古くならないことが新しいことだと思うのよ。」と言う。別日には「ほんとうに新しい事は、いつまでたっても古くならない事だと思っているのよ。」とも。
 映画後半では妹の舞ちゃんが受け売りで言う。「新しいってことは、いつまでたっても古くならないことなんだ!」
 
 今は絶版の本ではあるが新しい。
 また、分厚さに驚かれたり、ホログラフィック理論が通奏低音になっている故、実用書とは異なり読みにくい面もあるだろう。
 しかし、一読され始めると、ちょうど野口晴哉師の本が、椎骨の何番がとかが全く分からなくとも小説の如く楽しめるのと同様の楽しみも味わえるだろう。
 私は、関西前、白陰禅師がなぜ軸中軸の軸ばかり書いていたのか、の答えとして「夢中夢」、そして夢外夢、そして軸外軸として、ほんとうの意味での覚醒を釈迦と孫悟空のたとえで、この項にも書いた。
 成瀬師ではないが、そうした事が科学上に於いても立証されつつある事はほんとうに嬉しい。

 今こうして書いている途中に或るスタッフより突然のメール。
「先生が3才の時に『人は何のために生きているのか?』を考え、そして結論として「死ぬために生きている」とされた理由が分かりました。」と。
 彼が言うに、自分の息子が朝から様々な動きをし要求を訴え、そして最後コトンと寝る姿を見て、まさに「死ぬために生きている」というのが実感できた、と。
 ちなみに、私の3歳の時の結論は、それはそれで或る視点からすれば真実だろうが、現在はそうした表層的な視点は持ちにくい。
 言葉を変えれば私たちは或る視点でしか事象を捉えにくいのである。
 仏陀も言う如く「私たちは全ての事象を私たちの観念でしか捉えられない」。
 この人はこういう人だったのだ、と思うのも勿論然り。
 それは芸事で「自分より少し上手い人の事は決して分からない」という譬えだけではない。
 前に本を紹介したヒュー・レン博士の言葉を借りれば、
「100%、自分の責任なのです。」となるだろう。
 (ヒュー・レン博士の存在に触れ日記でもホ・オポノポノを紹介してから、それを深める様々なクリーニング法も【氣道の学校】(【心の学校】)では紹介しているが、
  今なおヒュー・レン博士を引合いに出す一番の理由は「100%」という点である。
 つまり、たとえ何をどう感じたにせよ全て自分の責任というだけでなく、それが100%であり99%ではないという点である。)

 …………………………………………………………………

 そして責任だけではなく、実際上、私たちは私たち自身の観念宇宙の中でしか生きていないのである。
 自分の観た夢の責任を他人のせいと思う人はいるまい。
 
 ………………………………………………………………
 
実は、自分しかいないこの宇宙の中、互いの宇宙も混在する可能性を私は最近認めつつある。
 (もちろん、この認識は繰り返しとなるが、この宇宙が自分の宇宙でしかない事が分かった上での感覚である。)
 そうして絶対無、0と共に在る体験をすると、自分の観念宇宙以外の他の宇宙が平行宇宙(というか平行ではなく360度宇宙と感覚する)として存在する事を感ずる事があるからである。 
 …………………………………………………………………

 そのスタッフに書く。
 「きっと彼女に「溌剌として生きるものにのみ深い眠りがある。生ききった者にのみやすらかな死がある」という晴哉先生の書を見せたためかもしれませんね。
  そして眠った時、つまり死んだ時こそ凄い氣を発していたでしょう。
  道場でもそうだったように、いかに鈍感な方でも数十m離れたところから感ぜられる事でしょう。
  いみじくも関西での【心の学校】で神の体験をされた方の周囲と同じ感じのような氣です。
  宗教的な表現になりますが、そうした意味では確かに人は神の子なのでしょうね。
  ですから逆に言えば、安らかな深い眠り、つまり無であり0であり死である無限なる神から、溌剌として生きたいからこそ産まれたのだと思うのです。」

 ───そう、この確かな夢の中で溌剌と遊びたいがために。

 (今日、北海道からいらした老賢者も、絶対無を感得されたあとには、今ごろ、楽しんでいらっしゃっているのかしら…)

  今月の一冊(会報用原稿)
Date: 2009-5-28 (Sat)
「投影された宇宙」 (マイケル・タルボット著 春秋社)

 今日は東京道場での個人指導であった。
 今年は春入りも早く、数年ぶりに体を上手く整える好機であったため、1月後半位から遠方からの方が多く訪れた。
 たった10分の指導を受ける為に、東北、関西など、往復10時間以上かけて遠方からという方が連日いらっしゃる。
 
 近くとも遠い人もいる。
 私は、血の縁より志の縁を大事にする。否、それのみを大事にしたい。
 それ故に一度止めた会員制度を復活させた。
 そう、遠くとも近い人がいる。

 瞑想の真意と「体を整える」意義とが結びつく事を見つけてから早10数年が経った。
 操体法と野口整体が統合できる、と言った時には、様々な反駁があったが、
 瞑想と体を整える事を統合しようとした時は、反駁こそ受けなかったが、様々な階梯があった。そして、それは今も続いている。
 私の歩く前に道は無く、後ろにのみ道が出来る、という高村光太郎の気持ちが初めて分かったのもその頃である。
 ともかく、本当に本当に真剣に瞑想を深めようとしている方こそいらっしゃる事が何より嬉しい。
 一昨日、ある整体指導者の文章を読んだ。私の感ずるところと同じだな、と思った。
 人はどこかで体つまり潛在意識が整う事を求めているのである。
 
 今日、初めて指導を受けられた方は北海道からいらした方であった。
 朝8時に家を出られ道場に着いたのが午後3時頃、今日は流石に一泊し北海道にすぐ戻ると言う。
 数十年岡田式静坐法を実践されていらっしゃる60代の端整な紳士であった。
 「絶対無を求めて来ました。」
 そうした方こそ嬉しい。
 個人指導という、一期一会の舞も、自ずと「生命への禮」と成らざる可からざんや。
 
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 指導中「先生の紹介されている本は全て読みました。」と仰る。
 伺うと、青本(「実践自然健康道」私の20代の処女作)に紹介している本や、会報の頁に紹介している本も全て読み、様々な学びを得たとの事であった。。
 有難し。
 しかし、そうなると、本当は今まで読んで感動した本、たとえば「あるヨギの自叙伝」は「伝導瞑想」を紹介する折りに書いたかもしれないが、仏陀やブラックジャックを始め、それ以外の重要な本はまだ紹介していない。
 そして、今後は本を紹介する事を留めようと思っていた位だった。
 その気持ちは今だ変っていない。
 メールを始め、私はこんな拙文ではあるが、今宵死ぬと思って書いている。
 言霊ということがあるからだ。
 (その意味でも、日記で「哀しみ」という連作が、評価された事は大変うれしい。)

 しかし、その方の一言で、次回、紹介するならこの本だろう、という本を紹介する事にした。

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 この本を読む直前、光栄にも対談までさせて戴いた恩師の成瀬雅春師の「死なない体。死なない心。」を読んだ。
 (これまた推薦したい本である。この項でも紹介した苫米地氏との対談も収録されている。)
 その中に、私も体験した事を、成瀬恩師はM理論(ひも理論)など科学でも少しずつ証明され始めた、と仰っていた。
 本当にそう思う。
 そして最初で最後になるであろう関西での【氣道の学校】(【心の学校】)の準備の為もあり、開催前にホ・オポノポノを受講し、成瀬恩師の著書も読み、この書を読んだのである。

(なお、その感想を書いて欲しい、という声が今日もあった。日記では弟者と息子が許せばと書いたのだが、個人的な感想な為、公開は控えたく思っている。もし今後公開の場合は余程募られたと思って欲しく寛容戴きたい。)
 (※注/その後、公開したのであるが、やはり問題あると思い削除した)

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 私は、小学時代より「氣道」に邁進していたが(おそらく今以上に…)、高校時代に哲学や宗教に触れ「宗教というのは再発見」という言葉が浮かんだ。

 この言葉は今回の関西での【氣道の学校】(【心の学校】)でも「この感覚は、以前どこかで感覚した事があるように感ずる。」という方が多かったため、お伝えした事である。
 その頃の私は、まるでどこかで感覚したかの如く、あるいは知識であればどこかで学んでいたかの如く感ずる事ばかりであった為、まるで追体験、再発見と思い子供ながらにそういう言葉が浮かんだのであろう。
 その体感(知的体感を含め)を久し振りに味わえたのが、この本であった。
 10年以上前の本である故、現在では更にボーム達の学説は進化しているのであろうが、私にとってそういうことはあまり関係無い。
 上述の「あるヨギの自叙伝」の中でも、その頃の最先端と言える科学が紹介されている。
 小津安次郎の「宗方姉妹」(これもお薦めDVDである)でも田中絹代扮する姉が「私は、古くならないことが新しいことだと思うのよ。」と言う。別日には「ほんとうに新しい事は、いつまでたっても古くならない事だと思っているのよ。」とも。
 映画後半では妹の舞ちゃんが受け売りで言う。「新しいってことは、いつまでたっても古くならないことなんだ!」
 
 今は絶版の本ではあるが新しい。
 また、分厚さに驚かれたり、ホログラフィック理論が通奏低音になっている故、実用書とは異なり読みにくい面もあるだろう。
 しかし、一読され始めると、ちょうど野口晴哉師の本が、椎骨の何番がとかが全く分からなくとも小説の如く楽しめるのと同様の楽しみも味わえるだろう。
 私は、関西前、白陰禅師がなぜ軸中軸の軸ばかり書いていたのか、の答えとして「夢中夢」、そして夢外夢、そして軸外軸として、ほんとうの意味での覚醒を釈迦と孫悟空のたとえで、この項にも書いた。
 成瀬師ではないが、そうした事が科学上に於いても立証されつつある事はほんとうに嬉しい。

 今こうして書いている途中に或るスタッフより突然のメール。
「先生が3才の時に『人は何のために生きているのか?』を考え、そして結論として「死ぬために生きている」とされた理由が分かりました。」と。
 彼が言うに、自分の息子が朝から様々な動きをし要求を訴え、そして最後コトンと寝る姿を見て、まさに「死ぬために生きている」というのが実感できた、と。
 ちなみに、私の3歳の時の結論は、それはそれで或る視点からすれば真実だろうが、現在はそうした表層的な視点は持ちにくい。
 言葉を変えれば私たちは或る視点でしか事象を捉えにくいのである。
 仏陀も言う如く「私たちは全ての事象を私たちの観念でしか捉えられない」。
 この人はこういう人だったのだ、と思うのも勿論然り。
 それは芸事で「自分より少し上手い人の事は決して分からない」という譬えだけではない。
 前に本を紹介したヒュー・レン博士の言葉を借りれば、
「100%、自分の責任なのです。」となるだろう。
 (ヒュー・レン博士の存在に触れ日記でもホ・オポノポノを紹介してから、それを深める様々なクリーニング法も【氣道の学校】(【心の学校】)では紹介しているが、
  今なおヒュー・レン博士を引合いに出す一番の理由は「100%」という点である。
 つまり、たとえ何をどう感じたにせよ全て自分の責任というだけでなく、それが100%であり99%ではないという点である。)

 …………………………………………………………………………………………

 そして責任だけではなく、実際上、私たちは私たち自身の観念宇宙の中でしか生きていないのである。
 自分の観た夢の責任を他人のせいと思う人はいるまい。
 
 …………………………………………………………………………………………
 
実は、自分しかいないこの宇宙の中、互いの宇宙も混在する可能性を私は最近認めつつある。
 (もちろん、この認識は繰り返しとなるが、この宇宙が自分の宇宙でしかない事が分かった上での感覚である。)
 そうして絶対無、0と共に在る体験をすると、自分の観念宇宙以外の他の宇宙が平行宇宙(というか平行ではなく360度宇宙と感覚する)として存在する事を感ずる事があるからである。 
 …………………………………………………………………………………………

 そのスタッフに書く。
 「きっと彼女に「溌剌として生きるものにのみ深い眠りがある。生ききった者にのみやすらかな死がある」という晴哉先生の書を見せたためかもしれませんね。
  そして眠った時、つまり死んだ時こそ凄い氣を発していたでしょう。
  道場でもそうだったように、いかに鈍感な方でも数十m離れたところから感ぜられる事でしょう。
  いみじくも関西での【心の学校】で神の体験をされた方の周囲と同じ感じのような氣です。
  宗教的な表現になりますが、そうした意味では確かに人は神の子なのでしょうね。
  ですから逆に言えば、安らかな深い眠り、つまり無であり0であり死である無限なる神から、溌剌として生きたいからこそ産まれたのだと思うのです。」

 ───そう、この確かな夢の中で溌剌と遊びたいがために。

 (今日、北海道からいらした老賢者も、今ごろ楽しんでいらっしゃっているのかしら。)

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